1. トップページ
  2. >
  3. 教育・スポーツ・文化財
  4. >
  5. 吉田家住宅復元事業

吉田家住宅復元事業

 岩手県陸前高田市気仙町(旧仙台領気仙郡今泉村)において「大庄屋」と呼ばれていた「吉田家住宅」は、仙台領気仙郡の大肝入の住宅遺構で、同家の出入り大工のひとりであった今泉村の七五郎が大工棟梁となって、享和2年(1802年)に建築した建物群です。
 吉田家住宅は、旧仙台領内において大肝入の住宅遺構がほとんど解体されている中、当時の大肝入屋敷の景観をよく伝えている数少ない住宅遺構であることが認められ、平成18年9月26日、岩手県指定文化財に指定されたところですが、平成23年3月11日の東日本大震災大津波によって全壊してしまいました。
 現在は、陸前高田市震災復興計画において「大肝入住宅の復元」を整備目標に掲げ、「吉田家住宅復元事業」を進めているところです。当該事業の進捗状況については、準備でき次第、掲載する予定です。


左は2011年6月(災害後)の部材回収前。右は回収後。(写真提供:岩手県立博物館)

岩手県指定文化財「吉田家住宅」とは

 岩手県陸前高田市気仙町字町裏(今泉地区)に藩政時代仙台藩の気仙郡大肝入(おおきもいり)を務めた吉田家がありました。現在の陸前高田市、住田町、大船渡市と釜石市唐丹(とうに)からなる気仙郡には24箇村ありました。その郡政を担った旧家です。
 元和(げんな)6年(1620年)伊達政宗から初代吉田宇右衛門筑後が大肝入に任命され、明暦2年(1656年)から延宝3年(1675年)までの矢作久右衛門と、元禄7年(1694年)から宝永2年(1705年)までの松坂十兵衛が務めた期間を除いて、吉田家当主が代々大肝入職を世襲してきました。藩からの命令伝達や藩への陳情をとりまとめる藩との窓口役であり、諸費用負担を村々に割り当て納入するなどの仕事をしました。軽犯罪者の取り調べや処罰を行う権利も与えられていました。名字帯刀や絹紬(きぬつむぎ)着用や羽織袴や傘の使用も許される家柄で、藩主が宿泊の際も24人の肝入は土下座で迎えていますが、吉田家親子は門前で、麻裃(あさかみしも)姿の立礼で迎えています。明治3年(1870年)に西国風(さいごくふう)の「大庄屋」(おおじょうや)に改称されたので、地元では「おおじょうやさん」と呼ばれています。

庭木越の吉田家主屋(災害前)(写真提供:岩手県立博物館)

 大肝入吉田家が伝え、活用してきた「たからもの」が、岩手県指定文化財の吉田家文書150点と主屋(おもや)、土蔵、味噌蔵、納屋の4棟からなる吉田家住宅でした。主屋は梁行5間(はりゆきごけん)、桁行(けたゆき)13間半に及ぶ茅葺き屋根の豪壮な建物で、大工棟梁七五郎によって享和2年(1802年)に建てられました。藩主や幕府の派遣する巡見使(じゅんけんし)などの貴賓の宿泊スペースと、執務や家族の居住空間と、普請(ふしん・公共事業)の際などに食事を提供する台所からなっていました。
 なお、吉田家文書は、震災で被災したものの、9割以上が救出され、安定化処理されました。特にも執務日記『定留』(じょうどめ)は国立国会図書館による2年間に渡る抜本修理を経て、元の姿に甦っております。
 ページトップへ