中沢浜貝塚(国・史跡)
指定種別
国指定
種別
史跡
指定年月日
昭和9年1月22日
所在地
広田町字中沢地内
所有者
陸前高田市ほか
概要
中沢浜貝塚は、広田半島の先端部にある大森山(標高147.2メートル)の西側の丘陵上にあり、目の前には広田湾を臨みます。史跡として指定されている面積は約17,000平方メートルで、そのほとんどが長い年月をかけ、海からの風で運ばれ堆積した砂で覆われています。
明治期から複数回行われた大規模な発掘調査により、この場所が縄文・弥生・平安時代の長期間に渡り人々の生活の場であったことが確認されています。
複数の時代に渡る遺跡として、三陸ジオパークにも認定されています。
文化財としての価値
中沢浜貝塚は、古くから多くの人骨が出土することで有名です。
明治40年、41年に野中完一が行った発掘調査では23体、昭和59年から63年まで陸前高田市教育委員会が行った発掘調査では18体の人骨が発見されるなど、これまでの総数は40体を超えています。これらの人骨の保存状態が極めて良いことから、人類学の研究や発展に大きく貢献してきました。
そのほかにも、動物の骨や貝類、膨大な量の土器や石器、また本貝塚の代名詞ともいえる多種多様な骨角器も出土しており、中沢浜貝塚が気候に恵まれ、また、海や山の幸にも恵まれた豊かな土地であったことがわかっています。
これらの遺物は、当時の人々の生活を解明する重要な考古学的資料であり、日本の水産業のルーツと漁撈技術、文化の変遷を示す貴重な財産であるとして、昭和9年1月22日、中沢浜貝塚は国の史跡に指定されました。
中沢浜貝塚歴史防災公園
中沢浜貝塚がある広田地区は、東日本大震災はもとより過去の津波で大きな被害を受けた地域であり、災害時の住民の緊急避難先を確保する必要性が高い地域でした。
市教育委員会では、地域振興と一体化した史跡整備を進めつつ、避難階段や災害対応用の東屋(防災あずまや)、災害時にかまどとして利用できるベンチ(防災ベンチ)等、防災機能を兼ね備えた歴史防災公園として平成26年に整備を完了しました。
避難階段には過去に観測された津波浸水高を示すプレートが設置されています。
津波名称 | 発生年 | 浸水高 (メートル) |
観測地 | 参考資料 |
---|---|---|---|---|
明治三陸沖地震津波 | 明治29年 (1896年) |
13.63 | 中沢浜貝塚付近 | 「明治29年6月15日 三陸沿岸大海嘯被害調査記録」山名宗信 |
昭和三陸沖地震津波 | 昭和8年 (1933年) |
8.50 | 泊八幡社付近 | 「昭和8年3月3日 三陸地方津浪に関する論文及報告」那須信治ほか |
チリ地震津波 | 昭和35年 (1960年) |
2.98 | 広田漁港 | 「昭和35年5月24日 チリ地震津波調査報告」気象庁 |
東日本大震災津波 | 平成23年 (2011年) |
10.68 | 広田漁港海岸 | 「東北太平洋沖地震津波合同調査グループによる現地調査結果」岩手県土木部 |
中沢浜貝塚歴史防災公園デジタルパンフレット (PDFファイル: 5.8MB)
更新日:2023年04月05日